祝30周年!TuneCore Japanから楽曲配信も行なうプロレスラー兼ミュージシャン蝶野正洋からメッセージ

2014/08/06

回はなんと・・・本日FIGHT&LOVEをリリースした、

 
ロレスラー蝶野正洋さんです!
 
ロレスデビュー30周年の企画として、TUNECORE JAPANからの楽曲配信もしている蝶野さんに、学生目線でいろんな角度からインタビューを行いました!

1984年、新日本プロレス入門。同年10月5日、越谷市民体育館における武藤敬司戦でデビュー。87年3月に海外遠征に出発。89年10月に帰国後、91年8月、第1回G1クライマックスに優勝し大躍進を遂げる。G1は前人未到のV5を達成し、92年8月には第75代NWAヘビー級王座を奪取。96年にはnWoジャパンを設立して一大ムーブメントを起こし、その後、TEAM2000を結成。2010年2月に新日本プロレスを離れてフリーとなったが、いまなお絶対的な存在感を放ち、黒のカリスマとして、プロレス界に君臨し続けている。現在はリング以外にも活動の幅を広げ、CM、TV、イベントに出演するなど、多方面で活躍している。
 

まずはじめにこの度はプロレスデビュー30周年おめでとうございます。

 

ありがとうございます。

 

30周年の取り組みとして様々な活動を行っているということなのですが、どのような活動をされているのですか?

 

まずひとつが、『救急救命』に関する社団法人、ニューワールドアワーズスポーツ救命協会を立ち上げました。もともと社会貢献の活動はずっとしてきていて、病院や福祉施設をまわったりすることを興行の世界で行っていました。最近はエンターテイメントの世界だけでなく、”行政”が主体となったイベントへの依頼も増えてきて、救急救命の世界を見ていくうちに(そういう世界があるという事をたくさんの人に)「広げていかなきゃいけない」という思いを抱くようになって。ただ人を楽しませるっていうのはプロレスだったり、音楽の世界でも必要なことですけど、やっぱり根本的な「人が助け合う思いやりのある社会」という中においては、救命という”もし何かあった時の対処の仕方”を若者にも年配の人にもどんどん広げていく必要があると感じています。これまでにも都や消防などがさまざまな活動を行ってきていますが、なかなか広がらないという現実があるみたいで、だったら自分は30年というキャリアもあれば、知名度も少なからずあるので、救急救命の大切さを広めるお手伝いができたらいいなという考えから組織を立ち上げました。

 

(出典:http://www.chono.jp/blog/?p=5295)

 

蝶野さんはこうした活動の他にもアパレルブランドの立ち上げあったり、役者活動であったり、プロレス以外にも様々な活動をされていますが、こうしたジャンルを越えた幅広い活動には何か理由があるのですか?

 

プロレスというのはマニアックな世界で(笑)。やっぱりその世界から一歩飛び出さないと、その道を極めることはできないなと。だけどその極めるっていうこと自体がものさしもないし、自分自身もプロレスについてすべてわかっているわけではないからね。
 

ただ自分はプロレスが好きだし、もっと多くの人に知ってもらいたい。そうした世界を広げるためにはマニアな世界に居るだけでは伝わらないと思って、外に出ていくことも必要だと感じたのが20年ぐらい前でした。(デビュー後の)最初の10年は自分にも自信がなかったし、準備もできていなかった。でもとりあえず外に出てみようと、(デビュー10年後から)さまざまな活動をはじめました。

 

(ここでいきなり話がガラリと展開)

 

ここからはざっくばらんに学生目線でいろんな事をお聞きしたいと思います(笑) まずはじめに蝶野さんは休日はどんなことをしているんですか?

 

今年でまだ子供が8歳(男の子)と5歳(女の子)なんで、もう(休日は)子供中心ですね。子供が出来てからの8年間は、外に出て付き合いで飲みに行くということも完全に無くなって、生活パターンも朝型の子供中心です(笑)。

 

お子さんが出来てから生活が変わったということですか?

 

もう180度変わりました。今まではドラキュラみたいな生活をしていたので(笑)。
 

どういったところにお子さんと遊びに行かれるんですか?

 

休日は子供が喜ぶところに連れてっていますね。親目線ではなくて、子供が行きたがる近くの公園とかに。たぶん子供には子供目線の行動エリアがあるんでしょうね。大人だと休日は「遠出して小田原あたりまで行こうか!」ってなるんだけど、子供は近場の目の前の公園でよかったりとか(笑)。
 
 
(また話がガラリと展開)

 

ざっくばらんにありがとうございました(笑)ここからは少し遡って蝶野さんの学生時代のお話も伺いたいのですが、学生時代はどんなことをされていたんですか?

 

小中高はサッカーをしていました。スポーツが自分を繋いでくれていたという感じですね。中学生ぐらいになってからは遊びの方を優先しちゃって。自分の生活を5段階にすると、中学の頃は遊びが1という感じだったけど、高校生の頃には遊び4:学業・スポーツ1になってましたね。

 

そこからなぜプロレスの道に進もうと思ったんですか?

 

俺は高校卒業後、浪人をしていて「将来何になるのか」っていう夢がなかったんですよ。それまでやっていたサッカーが遊びの方に傾いてしまって。なかなか自分の進路が見つけられなかった時にテレビでプロレスを観て、それまでサッカーにしかなかったスポーツへの興味がそちらに繋がった形ですね。

 

 

その頃はまだ遊びの世界の誘惑もあって。でも自分の中では遊びの世界の方は「進むべき道ではない」というのはわかってはいました。そして将来について考えている中で、テレビでふとプロレスを観て、「ケンカしながら飯が食えんのか!かっこいいじゃん!」と(笑)。そんな感じですね。

 

9・4後楽園ホール「蝶野正洋50歳誕生日パーティー」
(出典:http://www.aristrist.jp/black_final.html)

 

すごい単純な動機なんですね(笑) その単純な動機からはじめたプロレスを30年も続けることができた秘訣は何かありますか?

 

自分の中ではいろんな挫折も経験してきていて。例えばサッカーを途中で諦めてしまったり、親からは三日坊主だとか長続きしないと言われて、何かどこかでレッテルを貼られていると感じていましたね。それを「見返してやりたい」という思いが自分にはあったんでしょうね。

 

 

あとは格闘技だとかレスリングとかのベースを持った人達が入ってくる世界に飛び込んで、それまで地元である程度名前を馳せていた自分としては「戻れない」という状況になっていたのもあります。途中でケガとかもありましたが、辞めようと思ったことは一度も無かったですね。

 

これまでの30年間を振り返ってみて、どこがターニングポイントでしたか?

 

やっぱり年齢ですね。先輩たちを見ていても5年を一つの区切りとして辞めていく人、10年でケガで辞めていく人、15年続く人、20年続く人というのがいて。自分はというと、デビューして7・8年頃には「20年はやりたいな」と思ってましたね。30歳になった時にもうマラソンでいったら折り返し地点だと気づいて、ここまで来たら「まだ走んなきゃだめだ」と思いました。

 

 

ここからは少し音楽の部分にフォーカスしてお話を聞いていきたいと思います。蝶野さんはプロレスデビュー25周年の際に「Fight&Love」という楽曲をリリースしていますが、この楽曲のリリースに至った経緯についてお聞かせください。

 

騙されたんです(笑)。これは25周年の時に両国国技館で大きなプロレスの大会を開いて、その際にどこかメジャーなところに楽曲の提供してもらいたいという話を知り合いにしていたんです。

 

そうしたらいつの間にか周りの人達が「蝶野さん、これ自分で歌った方がいいんじゃないですか?」と言い出して(笑)。その頃は忙しくてできないと言ったんだけど、スタッフが前に何かの企画で俺が歌っていたラップの動画をYoutubeで見つけてきて、結局やるだけやってみましょうという話になって(笑)。

 

この楽曲ではボーカルだけでなく作詞も担当されていますが、どうでしたか?

 

(作詞の方は)25周年に対しての思いや、プロレスに対しての感謝がありましたから、それを5年刻みぐらいで思い返しながら言葉にしていったという形ですね。
 

昔から音楽は好きだったんですか?

 

聴くことは聴くんだけど、楽器も弾けないし、音符も読めません。なので新日本プロレスにいた頃も音楽オンチで有名です(笑)。

 

音楽オンチ(笑)。音楽は結構聴かれるということですが、1番はじめはどういった音楽から入ったんですか?

 

家で兄貴がちょっとしたステレオのセットを買って、それで最初に聴いたのがジョージ・ベンソンでした。そこから音楽を聴き始めたけど、高校時代や浪人中はやることが何もなくて(笑)。レンタルレコード屋に行って、エア・サプライだとか、その辺の時代のものを毎週借りてテープで録音していた記憶がありますね。
 

ジョージ・ベンソン(George Benson, 1943年3月22日-)はアメリカペンシルベニア州ピッツバーグ出身のジャズ・フュージョンを中心に活動しているギタリストで歌手。

 

エア・サプライ(Air Supply)はオーストラリア メルボルン出身のバンド。非常に伸びのあるハイトーンボイスとドラマチックなバラードで1980年代に数々のヒットを放つ。

 

今はどんな音楽を訊かれるんですか?

 

最近はファレル・ウィリアムスの「HAPPY」とかはよく聴きますね。あれなんかはすごくいい曲だなと思います。
 

 

あとはCLIFF EDGEというグループが好きですね。彼らの地元が横浜で、自分の近所に住んでいるんですよ。東日本大震災の翌年に復興のイベントで知り合って、彼らのメロディと歌詞がとても良くて、今では彼らのPVにも出演したりもしています。

 

プロレスと音楽という部分ですと、入場時の「入場曲」が思い浮かぶんですが、蝶野さんとしては何か入場曲を選ぶ際のこだわりなどはありますか?

 

今はCLASHを入場曲として使っているんですが、使っている曲はボーカルが入っていないインストゥルメンタルの曲で、最初はピンとはこなかった。でも俺には良い音楽かどうかを識別できるセンスがないので、これでいいかと選びました(笑)。

 

やっぱり入場曲がかかると試合に向けてのモチベーションもあがりますか?

 

それはありますね。大きな大会のとき、車で会場まで向かう時は車内で好きな曲をかけて、テンションをあげています。
 

蝶野さんの中で今1番おすすめしたい曲はなんですか?

 

う~ん、なんだろう。いま家の中ではアナと雪の女王の「Let it go」しか流れていないからね(笑)。でもあれはいい曲です。詩もいいし。年齢の違いやジャンルの違いがあっても、基本はどの音楽も素晴らしいですね。

 

アンパンマンも意外と詩が深い。アンパンマンは子供が観る番組というイメージがあるけど、子供がアニメを観て歌を歌っている姿を見ると、「これ、素晴らしい歌詞だな」と気づかされて。子供の世界の歌も素晴らしいし、俺らの世代の歌も素晴らしいです。演歌は接点はないけど、そこにも素晴らしい音楽はあると思います。

 

 

蝶野さんがアニメの音楽まで聴かれているのは意外でした(笑) そうした上でプロレス30周年の企画としてこの度TUNECORE JAPANから楽曲をリリースされるということですが、蝶野さんの中では音楽配信についてはどういったイメージがありますか?

 

俺にとっては専門の業界ではないので、周りのスタッフの意見等を重視してTUNECORE JAPANを利用することにしました。聞いた話によれば「CD屋がロサンゼルスにはない」というので、やっぱり配信というものが音楽を聴く大きな手段となってきていると思っていますね。

 

 

あと、一昔前まではシステムを使う料金の高さや、システム自体のめんどくささがあったと思うんですが、今はそれが10分の1程度まできている。そういう”使いやすさ”が音楽配信の魅力の一つですね。

 

音楽配信というプラットフォームはたしかに昔よりは手軽で利用しやすくなっていますよね。音楽に関して様々なお話を聞かせて頂きましたが、今後プロレスやその他の活動も含めて何か目標等はありますか?

 

いまはオリジナルのアパレルブランド「ARISTRIST」にかかる比重が大きいですけど、やっぱりプロレスも音楽もファッションも「人を喜ばせる」という部分では、基本的には一緒だと思うね。いまは家内がデザイン・プロデュースをやっているので、一緒に「身につけるエンターテイメント」というものを勉強していきたいですね。

 

これからも人を楽しませるために様々なことをしていきたいということですか?

 

たぶんビジネスの基本はそこだと思うんだよね。自分だけが楽しむのはビジネスじゃなくて、アマチュアの世界。よくプロレスの世界では、レスラーが自己満足にふけっていて、客がうんともすんとも言わない試合はダメだと言われていて。やっぱり客をいかに沸かせて楽しませるかがビジネスであり、それこそがプロフェッショナルだと思っています。

 

9・4後楽園ホール「蝶野正洋50歳誕生日パーティー」

(出典:http://www.aristrist.jp/black_final.html)

 

本日は貴重なお時間ありがとうございました。これが最後の質問というかお願いになるんですが、何か僕たちのような学生・若い人に向けて最後に一言メッセージをお願いします。

 

いまの人達はスマートですよね。スポーツの世界に目を向けると、技術も練習方法も遥かに10年前・20年前よりもハードになってきていて、日本人はどんどんスポーツが強くなってきているでしょ?そういう意味でいうと、10年前・20年前に比べて、いまの若い人達は優秀になってきている。そういう部分をリスペクトしているし、今の若いやつはすげえなっていう思いがあります。ただいつの時代でもダメなやつはダメだからね(笑)。
 

 

僕たち若者も蝶野さんに負けないようにこれから頑張っていきたいと思います!今後も僕たちのような若者とコラボしていくことはあり得ますか?(笑)

 

そうですね。若い人は好きなので(笑)。

 

 


 
50歳という年齢ながら、まだまだ先を見続けるエンターテイナー蝶野正洋。
これからも40年、50年とまだまだやってくれるはずです!
 
改めて、この度はプロレスデビュー30周年おめでとうございます!
 
 
 
 
 

蝶野正洋 OFFICIAL BLOG : http://ameblo.jp/chonokingdom/
アリストトリスト公式HP    : http://www.aristrist.com/

蝶野正洋30周年アニバーサリー企画!

 

『嵐げんこつらあめんブラック・デビル』
“黒のカリスマ”の蝶野選手がイメージキャラクターを務める『嵐げんこつらあめんブラック・デビル』が、らあめん花月嵐で8月7日より販売され ています。『嵐げんこつらあめんブラック・デビル』の特色はズバリ、『焙煎デビル七味』。通常の『七味』からは想像もつかない独自のブレンドに挑戦し、そ の七味を焙煎。一口目のビビッとくる刺激、その後に迫ってくる渋味と苦味。食べる人を一瞬にして虜にします。
 
『嵐げんこつらあめんブラック・デビル』の詳細はコチラまで。
 
 カメラアプリ『蝶野カメラ』  App Store ・ Google Play
蝶野正洋と一緒に写真がとれたり、写真にスタンプを押してデコレーションして遊べるApp Store/Google Play向けのカメラアプリ。ケンカキック、蝶野ビンタ等、さまざま撮影フレームを用意。シチュエーションやお好みにあわせて楽しめます。手軽に写真をTwitterに投稿することができます。基本プレイは無料で、プレミアムコースもあります。
 
蝶野カメラ
 

 『黒のカリスマ 蝶野ブラックカレー』

蝶野正洋がイメージキャラクターを務める、らあめん花月嵐のこの夏の新作『嵐げんこつらあめんブラック・デビル』。その特徴の一つである『焙煎 デビル七味』をそのまま使用した、コラボカレーが完成!らあめん花月嵐完全監修のスペシャルなブラックレトルトカレーは、サークルK・サンクスのカルワザ ステーション、らあめん花月嵐のホームページで通信販売されています。
 
『黒のカリスマ 蝶野ブラックカレー』の詳細はコチラまで。
 
 

 NWO Tシャツ

1996年に蝶野正洋を中心に、プロレスの枠を越えて一大ブームになったnWoロゴTシャツが、WWEとのWネームにより蝶野正洋アパレルブランド「アリストトリスト」よりリリース。定番のブラックに加え、ホワイトカラーも同時発売。子供用Jr.サイズも登場。
 
『NWO Tシャツ』の詳細はコチラまで。
 
 
 

■Writer:小池真平

<TUNECORE JAPAN 学生アンバサダー> 
「音楽バカ」な首都圏の大学生により2014年5月に発足した、TUNECORE JAPAN公認の学生プロジェクトです。学生を初めとした音楽アーティストにTUNECORE JAPANを知ってもらうことで、日本の音楽シーンの活性化に貢献し、音楽人口を増やすことを目的としています。

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